B’zがLAで叶えた「ねがい」

公演直前の記者会見(Club Mayan 2011年8月31日)
公演直前の記者会見(Club Mayan 2011年8月31日)

正に夢の競演だった。

東日本大震災から間もなく半年が経とうとする8月最後の日、太陽の光が燦々と降り注ぐLAダウンタウンのクラブハウス「マヤン(Mayan)」の前には行列ができていた。

  

そのほとんどが胸に大きく「Linkin Park」と書かれたTシャツを着た白人の若者達だったが、列の先頭には日本人が3人、日の丸を広げて立っていた。

 

私達全員、もう20年以上B'zの大ファンなんです!」
  
開場3時間前、胸を躍らす3人の手には、東日本大震災の被災地へのエールがびっしりと書かれた日の丸が存在感をしっかりとアピールしていた。それぞれ千葉、大阪、そしてアトランタから駆けつけたらしい。
  
しかしこの日この場所で、遭遇したB'zファンは彼ら3人を含め極わずかに過ぎなかった。列に並ぶほとんどの人が、アメリカの若手実力派ロックバンド、リンキン・パークのファンだということは一目瞭然だった。
  
会場のビルボードには大きく「Linkin Park」、その下に比較的小さく「With Special Guest B'z」の文字が見える。
 
去年日本で敢行した国内ツアーでは50万人を動員した、今や日本を代表するロックバンド、B'zが今日ここで公演する。高校2年生の頃、座席数2000席の京都会館第1ホールで、ステージから恐ろしく離れた後ろの方の席で、ほとんどモニターだけを通してB'zのパフォーマンスに酔いしれた青春時代を思い出す。
 あれから17年後、まさかここロサンゼルスでB’zのライブを取材出来るなんて・・・。改めて感動にひたる自分に、列に並んでいたリンキン・パークのファンが突然話しかけた。
 
「Who's opening Linkin Park tonight? (今夜のリンキン・パークのライブ、前座は誰だい?)」
 
(オープニング・・・)
その響きに戸惑いつつ、「It's B'z! They're the most successful band in Japan.(日本で一番売れているバンド、B'zだよ)」と親切に答えてあげると、その男性はあからさまに興味が失せた顔で、「I have no idea who they are...(聞いたこともないね)」と一言言い捨てた。
 
オープニング?あのB'zが?どんなにSpecial Guestと銘打っても、列を成すほとんどの観客にとってB'zはリンキン・パークのオープニング・アクト(=前座)に過ぎないのかと、どうしようもなく困惑した。
 
この会場でこの日、日本の超大物アーティストB'zが公演する。その事実にひたすら興奮しているのは僕を含むわずかな人数にしか過ぎなかった。史上最多の「シングル45作連続首位」を達成しているあのB'zが、ならばなぜ、この日この小さな会場で、しかも他アーティストの前座とほぼ同様の位置づけで公演することに合意したのか?
 
グラミー賞など多くの音楽賞を受賞してきたロックバンド、リンキン・パークがこの度、東日本大震災の復興を支援するプレミアムライブを開き、スペシャルゲストとして日本からB'zが招待された。
 事の始まりは震災直後の3月半ば。リンキン・パークは自身が6年前に設立したチャリティー団体、「Music for Relief」の特設ウェブサイトを通して、被災地への募金を呼びかけた。ファンが曲をダウンロードする度に、収益金が被災地への寄付金として集められるこのサイトに、数多くのアーティストが楽曲を提供した。B'zも代表曲の一つ、「HOME」の英語バージョンを提供した。
 今回LAで開かれたスペシャルライブは、ある条件をクリアしたファンにのみ入場する権利が与えられた。「Music For Relief」のウェブサイトに各個人が登録し、自分の友人や家族にそれぞれ募金を呼びかけて、それぞれ500ドル(約3万8000円)以上の寄付金を集めたファンのみペアで招待を受けることができる。ゲストは1300人に限定の、文字通り超プレミアムライブだ。
 
 
開演2時間半前。ステージ上で開かれた記者会見にはB'zのボーカル、稲葉浩志さんとギターの松本孝弘さん、そしてリンキン・パークのメインボーカル、チェスター・ベニントンとマイク・シノダらが出席した。
 

会場に訪れた報道陣、約30人。その過半数がCNNやAP通信、音楽雑誌ローリング・ストーンズといった、アメリカメディアだ。
「B'z知ってる?」
隣にいたCNNのエンタメニュースのプロデューサーに聞いてみた。
「B’z?」と聞き返し、彼は少し申し訳なさそうな表情をしてみせた。
「今回初めて知ったよ。さっき広報文で読んで知ったけど、日本じゃ最も売れているナンバー1アーティストだってね!」そう言って、更にこう付け加えた。
「さっきリンキン・パークのマイク(シノダ)とB'zのKoshi(稲葉さん)の二人に同時にインタビューしたけど、むしろマイクの方がB'zの2人と同じステージで今回公演出来ることを光栄に思っていた印象を受けたよ」
どこか厳かな雰囲気の中会見は始まり、B’zの稲葉さんは終始、流暢な英語でアメリカ人記者の質問に答えた。
 
B'zはすでに過去3回、LAで公演した実績があるが、今回のライブは特別な意味があるに違いない。稲葉さんに胸中を訊いてみると、真摯に、真っ直ぐ僕の目を見て答えてくれた。
「This is a great opportunity for us to show our appreciation directly to those who have been helping our country. This is a great honor for us.(今回のライブは、僕達にとってこれまで僕らの国を支えてきてくれた皆さんへの、感謝の気持ちを直接伝える素晴らしい機会。本当に光栄です)」
先ほど会場前で自分が疑問に思った、なぜB'zがこの日ここで公演するのか・・・その訳が正に、稲葉さんのこの答えで明らかになった。
震災の復興のためにこれまで日本を支援してくれた、全ての人への率直な感謝の気持ち。それがB'zの2人を動かした。
デビュー後23年経った今も常に新境地を開拓し続ける、日本が誇るミュージックアイコンは、むしろB'zこそが心から誇りに思う日本という国を代表し、この日LAでのライブを通して世界にThank Youメッセージを送るんだろう。
 
リンキン・パークのマイク・シノダは、特設ウェブサイト上のソーシャルネットワークを駆使した募金キャンペーンで、当初目標としていた25万ドルをはるかに上回る35万ドル(2700万円)もの寄付金が集まった事を知り、驚きを隠せずにいた。
「震災から少し時間が経ち、一時と比べメディアでも被災地の現状がそこまで取り上げられなくなったこの時期に、これだけの募金が集まったことに素直に感動しています。ファンのみんなに心から感謝します」
集まった募金は全て、主に被災地の子供達の支援にあてられる。
 
5000個のランドセルなどが被災地の子供達へ送られる。
5000個のランドセルなどが被災地の子供達へ送られる。
午後7時半、B'zの「Dangan(オリジナルタイトル、「さまよえる蒼い弾丸」の英語版)」でプレミアムライブがアップビートに開演した。 
募金サイトに提供した「HOME(英語版)」の他、「愛のバクダン」、「ultra soul(英語版)」そして「juice(英語版)」など10曲を熱唱し会場を大いに沸かせた。
  
公演終盤、稲葉さんが「Thank you very much!」と叫び一礼すると拍手と歓声が沸き起こり、会場を一気にヒートアップさせた。
  
それでもやはり観客の多くがリンキン・パーク目当てだったようで、「Opening Act」として出演したB'zのパフォーマンスが終わった夜8時半頃、ようやく会場が混みだした。
  40分の休憩中、リンキン・パークの女性ファンにB'zのパフォーマンスを観た感想を聞いてみる。
  
「今までB'zって誰か知らなくて・・・。さっき彼らの曲を初めて聴いたのだけど、ノリの良い曲が多いわね」
  
2007年に日本人アーティストで初めてハリウッドの「ロックの殿堂」入りを果たし、今年初めには松本さんがグラミー賞を受賞したにも関わらず、アメリカでのB'zの知名度はまだまだ低いのが現実。しかしこの機会に、B'zを初めて知り、そして日本ではあまりにも有名なB'zサウンドに惚れ込んだアメリカ人も多くいたことだろう。
  夜9時過ぎ、いよいよLinkin Parkによるメイン公演が始まる。
 
グラミー賞受賞曲、「Crawling」や映画「トランスフォーマー/リベンジ」のテーマ曲「New Devide」、代表曲「In the End」などをチェスター・ベニントンのシャウトが利いたボーカルとマイク・シノダのラップの絶妙なバランスで聴かせる。激しいバンドサウンドと、最新鋭のサウンド技術によるキーボード打ち込みの音を融合させた、正に100%『リンキン・パークワールド』が観客を魅了する。
 リンキン・パークの公演中、立ち見の観客に混じってステージを見つめる一人の男性に目が留まった。他の誰でもない、B'zの松本さんだった。すぐ周りには少なくとも100人のリンキン・パークファンがビートの利いた曲に合わせて飛び跳ねていたが、この日本人男性が誰なのか知る術も無く、ステージ上の熱いパフォーマンス釘付けになっていた。リンキン・パークのナンバーを一曲聴き終わると、松本さんはお付きの人にエスコートされその場を離れた。 
公演クライマックス。ステージ上の大画面に突如、日本の被災地の映像が映し出された。 大雪が降る中、母と手を繋ぎ瓦礫のそばを歩く小さな男の子。観客の熱気が渦巻いていた会場が、一気に静まり返る。
 
震災直後の被災地の映像を眺めながら、会見中の稲葉さんの話を思い出す。
「被災地では今でも深い悲しみの中で暮らす人達が多くいる。今回こうやって復興に少しでも役に立つために、同じステージで公演する僕らを見て、自分にもきっと何か出来ることがあるんじゃないか、と思ってもらえるきっかけになれば嬉しい」
 
静けさの中で、大画面に映し出された被災地の映像を、観客一人一人が息を潜めて見入る。 
「世界へ感謝の気持ちを伝えたい」
そのねがいを叶えるために海を渡り、LA公演を果たしたB'z。そして画期的なキャンペーンで、日本の被災地復興のために募金を呼びかけたリンキン・パーク。
日米を代表するミュージックアイコンが集結させた、1300人のファンの心が一つになった夜だった。

 

 


被災地の復興を切に願う1300人のファンが集まった
被災地の復興を切に願う1300人のファンが集まった

【LA】 Leo Yang